
老子の説く「無」の境地を童子の姿を借りて表現している。サイズの合わない草履を無造作に,身にまとい、何を見るともなく、たたずむ純真無垢な表情からにじみ出る「無我」。無を子供に投影した意欲作品。勿論複製品で~す。
無我とは己の我を捨てて正しき神のなさるがままになることよ。の言葉のように自分の自我(自分さえよけりゃよい、わがまま、気まま、かってまま)を離れて、正しき神(自分の内に内在する神の心である良心・真心)の命じられるがままに行動できる人間にならせていただきたい。すると無我ほど尊いものはない、強いものもない、楽しいものもない。のではないでしょうか。
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