目力ー徳の発露ー自分を磨く
山岡鉄舟34歳,清水次郎長50歳の時、次郎長は鉄舟に向かって「剣道などは実地の場合の役に立たない」と言った。どうしてかと聞くと、刀を抜いて闘うと怪我するが、素手で「このやろうと睨みつけると、大抵の相手は逃げてしまう」という。「よし、それでは、お前はその長い刀で切りかかってこい。おれはこの木刀で相手をしよう。かすり傷でも受けたらおれの負けだ」と鉄舟がいう。次郎長は鉄舟を睨みつけていたが、「どうも、すくんでしまって、お前さんにはかなわねえ。どうしたわけだろう」と次郎長。「それはお前さんが、この野郎と相手をすくませるのと同じ理屈だ」。「では、わっしが睨みつけると、どうして相手がすくむんかね」。「それはお前の目から光が出るからだ」と。剣術の稽古をすれば眼から光りが出るようになる。「眼から光りが出るようにならないと偉くはなれねえ」。と鉄舟。孟子も「その人を観んと欲せば、その眸(ひとみ)を見よ」と言っている。俗に眼は心の窓という。鉄舟は「眼、光輝放たざれば大丈夫に非ず」と言ったが,内に蓄えた徳の発露と言っていいのか、人間の心の窓から光りを放つには、ただ竹刀を振り回す技術のよくするところではあるまい。(以上、山岡鉄舟の本より)。
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